「尺度を奪われた人々」
何気なく使う物差しも、何気なく過ごす一日も、
気がついたら過ぎている一月も、思い起こす一年も、
僕らは本当の尺度で過ごしているのだろうか。
一日が太陽の動きで決まるなら、なぜ一月は月の動きで決まらないのか。
手を広げた長さの“尺”や、人が半刻で歩ける距離から導く“里”など、日常から忘れ去られた尺度。
本当に人は1年で1才の歳を重ねるのか?
自然の尺度を再考すると、エジプトのピラミッドが星座の位置と重なることや、
世界中の遺跡が一直線に並ぶことが容易に理解できる。
管理されない尺度を手にしたならば、本当の自由が手に入る。
価値観という尺度を気づかないうちに与えられてはいないだろうか?
全ての尺度を今一度、各々が自身の手で積み上げることが重要でないかと思う。
本当の一分一秒は、足下の雑草の茎に観られる成長の跡(節)から観察できるのかもしれないのだから。。
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