あの日とは違う6月23日。
青空に浮かぶ白い雲が気持ちの良い晴天。
どんなに想像しても、あの日の地獄は想像できない。
青空に浮かぶ白い雲が気持ちの良い晴天。
どんなに想像しても、あの日の地獄は想像できない。
だから今でも沖縄の一部の人は基地を容認し、中国が攻めてくるとか、基地反対運動が過激で米兵や米兵家族が可哀そうとか、沖縄の人を二分するマニュアルや工作にまんまとハマっている。
民意が見事に操られている。
民意が見事に操られている。
反対するべきは、「米兵」でもない、「中国人」でもない。
対峙するべきは、「基地」であり、「戦争」だ。
対峙するべきは、「基地」であり、「戦争」だ。
基地反対派も基地容認派も、お互い向ける矛先がいささか間違っているように思う。
左翼や右翼
反対派や容認派
ウチナーやナイチャー
反対派や容認派
ウチナーやナイチャー
そんな戦争のような種族・派閥争いを全て振り払い、武器やマイクを捨て、拳をほどいて両の手を合わせて、うーとーとー。
それがご先祖への本当の黙祷だ。
隣にいるのは敵か?君の敵はどこにいる?本当に敵はいるのか?
かつて争った琉球三山や琉球と大和も、今の状況から考えると馬鹿馬鹿しい争いと思えるように、今の争いも馬鹿馬鹿しい。
戦争をしたいがための工作に騙されずに、国々の“政府”を飛び越えて、国々の“人々”が手を取り合うことが大事だ。
それが、こんな小さな島の集まりである琉球が大陸を相手に交易して、約450年も一国として存在できた証である。
「なんくるねーさー」
「いちゃりばちょうでー」
「ゆいまーる、いーまーる」
と、
「いちゃりばちょうでー」
「ゆいまーる、いーまーる」
と、
“誰とも争わない思想”
を僕らは決して絶やしてはいけない。。
(写真:伊江島の公益質屋跡の鉄砲や砲弾痕のある外壁。伊江島は沖縄で最も戦火が激しかった場所)
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