2011年6月20日月曜日

Father

はいさい。

今日は朝から授業で聖クララ教会の音響測定に行ってきた。

聖クララ教会は沖縄で唯一DOCOMOMO 100選に選ばれている建築。
設計者は片岡献+SOM(1958年竣工)

建築内部の雰囲気などは僕のAARブログをみてもらえると分かると思います。


そこの、ラサールシンプがめっちゃいい人でした☆

なんでも、80歳だとか!めっさ元気なおじいちゃんですw



ところで、何故僕が“神父”なくて“シンプ”と書いているかというと、ラサールシンプ曰く、シンプはファーザーと呼ばれるが、漢字で書くと「“神父”なるのはおかしい!神の父っておかしいよねぇ」と言ってたからです。




↑ラサールしんぷ


確か、中国でシンプーとなり、“神父”と感じがあてられたとか。。


だから、ひらがなやカタカナで“しんぷ”はいいけど、漢字の“神父”は嫌いだそうですw

帰り際に名刺交換をさせてもらいました♪

いつまでも元気でいてもらいたいですね!

ラサールしんぷ!また行きますb"

2011年6月16日木曜日

vsインド建築。

明日の2限に、建築意匠特論の授業にてインド建築についての発表をしなくちゃいけないのに、まだまとまらない。

眩暈である。


違うか。


うん、がんばる。。

2011年6月15日水曜日

「何もないこと」の眩暈

先日、「岡本太郎と沖縄」展へと行ってきた。
メインの展示スペースへと続く通路の壁に書かれていたいくつかの言葉の中の一つ。
岡本太郎が沖縄に訪れた際に、沖縄の〝御獄(うたき)〟を見て口にした一言。



「何もないこと」を目にしたとき、その瞬間、感動と恐怖が同時に押し寄せ、僅かながらそのどちらかの勝った側の感情を、人は抱くのではないかと思う。

東日本大震災、津波が去った後のその情景はまさに「何もない」。

そして、僕にできるほんの僅かなことを覗けば、僕に力が「何もない」。

その事に恐怖している。

悔しい。歯痒い。切ない。



今、僕と同じ歳の人や近い年齢の方々、多くの人が復興の第一波として活動している。
〝尊敬〟以外、抱けない。

絶対に力をつける。

今、何も出来ないが、必ず復興の第二波、第三波として、力になれるように。

もう、復興に向けてすることが「何もない」。

そうなる日を一日でも早く。