年末にフェイスブックにて、東北で役者をやっている予備校時代の同級生の投稿の書き出しに目がとまった。
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『実は今年、本厄の年でした 笑
「役者は役が落ちるから厄祓いはしないのよ!」
「え!本当ですか?それならばしないよ、しないからねぇー(怖)」
と思った2022年。』
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と書いてあった。
なるほど。
日本語の言葉が持つ「音」とは不思議なもので、例えば、
「えん」は、“縁”や“円”や“宴”や“苑”。
「しん」は、“神”や“心”や“真”や“信”。
みたいに、同じ「おと」を持つ字は深いところで同じような意味をもつ。
深いところで同じ意味を持つ故に、浮かび上がる際に、
「えん」は近づきすぎて“怨”になることもあるし、
「しん」は想い過ぎて“辛”になることもある。
じゃあ、“厄”は何だろうと考えると、ふと思った。
なるほど。“厄年”は“役年”か。
厄年の人はその年に“役割”が与えられる年かもしれない。
新しく役割を与えられるということは、当然、慣れないことに頭抱えたり、上手くいかないことに嘆いたり、分からないことで悩んだり。なんとも言えない不安もある。
そんな様々な“躓き”が多い年になる。
むしろ、敢えて“躓き”が用意されている年なのかもしれない。
躓きが多い故に“役年”は“厄年”とされてしまっているが、この用意された多くの“躓き”にしっかりと躓いて、そして乗り越える。
そんな一年を過ごすと、この一年は確実に成長する年になる。
“厄年”とはチャレンジとチャンスの年。
そんなことを書いている僕は、3年後に本厄を迎える。
つまり、同い年生まれの3年後は“本厄”であり“本役”を貰う年。
きっと、そういう事かもしれない。。
(3年以内には戻ってきて欲しいな)
想う君へ。
去る君へ。
どちらへも、全力で応援しています☀
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